寺院由来

本堂

由 来

 当山の正式名称は明王山浄幽寺と言い、総本山を奈良の長谷寺として、真言宗豊山派に属する寺院です。

 ご本尊は不動明王で、開基は元和元年(1615年)当地の浮谷家第二代勘三良(かんざぶろう)であり、明暦二年(1656年)に亡くなり、戒名「玄理浄幽居士」中の文字をとり、寺号とされたと伝わります。

 境内にある昭和57年(1982年)3月新築の阿弥陀堂には一木造り、彫眼の阿弥陀如来坐像が祀られており、その胎内に納められていた像高9.4センチメートルの納入仏(胎内仏)は、室町時代の作と推定される貴重なものです。

 本堂は、阿弥陀堂と同じく昭和57年(1982年)3月、庫裡が昭和60年(1985年)に、それぞれ新築されました。現在の寺観は、興教大師850年御遠忌記念事業として境内の整備が行われました。